『ファイナルファンタジーXIII』には、多くのプレイヤーの心に深く刻み込まれる情景がある。
物語の後半、主人公たちがついに辿り着く大地「グラン=パルス」。それは、ゲームを進めた者だけが体験できる、これまで信じてきた世界の常識が静かに覆される瞬間だ。
視界の先まで続くアルカキルティ大平原と、そこで当たり前のように息づく巨大な生命。
その光景は、単なる「広い」という言葉では到底語り尽くせない。
今回は、このグラン=パルスという圧倒的な情景を、スウェーデンのポストロックバンド「pg.lost」の楽曲『Yes I Am』と共に歩いてみたいと思う。
誤解のないようにお伝えしておくと、ゲーム内で流れる名曲『アルカキルティ大平原』を別の曲に置き換えようという意図はない。
あの世界を歩き終えたあと、心に静かに沈殿した感情を、別の音楽を通してもう一度辿り直すための旅である。

最初は、「大自然だなぁー」って思うムービーだったよね。結構アタシはビビったし!
🎮 この先を読む前に
この記事は『ファイナルファンタジーXIII』終盤の情景を扱っています。ストーリーの核心的なネタバレはありませんが、エリアの演出や世界観に触れているため、未プレイの方はご注意ください。
世界の尺度が変わる、その瞬間
物語は、人類が暮らす閉ざされた人工世界「コクーン」から始まる。
美しく管理された都市と、高度な文明。
プレイ中、その世界を「狭い」と感じることはほとんどないはずだ。むしろ、そこが世界のすべてなのだと自然に受け入れている。
数々の試練を越え、「ここまで来た」というプレイヤーとしての確かな手応えを感じ始める頃。しかし、その積み上げてきた常識は、ある場所へ辿り着いた瞬間に音を立てることなく崩れ去る。
それが「グラン=パルス」だ。
ここで語りたいのは、ストーリーの展開そのものではない。
長い時間をかけて自分の中に築き上げられた「世界の尺度」が、一瞬にして塗り替えられるあの途方もない感覚についてだ。

いや、結構「グラン=パルス」に行くまで時間かかったよね。だからアタシ、あの世界に出たときに、これヤバイんじゃないの・・・って思ったよ。
アルカキルティ大平原という、もう一つの世界
グラン=パルスに降り立ってまず目に飛び込んでくるのは、地平線の彼方まで続くアルカキルティ大平原。
風が草原を撫で、どこまでも高い空が広がる。これまで歩いてきたコクーンとは、流れる空気の重さすら違う。
そして、その壮大な景色の中で悠然と姿を現すのが、巨大な「アダマンタイマイ」だ。
ただでさえその巨体に圧倒されるというのに、本作はそれだけで終わらない。作中のムービーでは、あのアダマンタイマイでさえ、さらに巨大な「タイタン」という存在にあっさりと捕食されてしまう。
見ているこちらは言葉を失う。
自分が「巨大」だと思っていた存在は、この世界において決して特別ではなかった。そして何より恐ろしいのは、それがプレイヤーを驚かせるための特別な演出ではなく、グラン=パルスにおける「ごく当たり前の日常」だということだ。


デカすぎ!って思うよね!さすがにあのデカいアダマンタイマイには近づいちゃ絶対ダメ!って思って逃げてたよねー。
世界の尺度が壊れる瞬間
アダマンタイマイを見た時、誰もが「これがこの世界の頂点だろう」と錯覚する。
しかし、その価値観は一瞬でひっくり返される。
巨大な生命。さらにそれを凌駕する生命。そのすべてが、何事もなかったかのようにこの世界でただ息づいている。
風は吹き、草は揺れ、生命は歩みを進める。驚いて立ち尽くしているのは、画面の前のプレイヤーと主人公たちだけだ。
そこで初めて思い知らされる。
自分が強くなったという自負も、巨大だと思っていた存在も、この世界から見ればほんの小さな出来事に過ぎないのだと。
ただ不思議なことに、そこに恐怖はなかった。圧倒的な世界を前にして残ったのは、立ち尽くす自分自身の姿だけ。
アルカキルティ大平原をしばらく歩いていると、やがて気付くことがある。
最初はあれほど強大に見えたアダマンタイマイも、少し離れれば、ただ遠くの草原を歩く点になる。もはや「巨大な敵」ではなく、この世界を構成する「風景」の一部へ溶け込んでいくのだ。
人もまた、この世界を形作る生命の一つに過ぎない。
自分という存在がいかに小さいか。その事実を知ることは少し寂しくもあるが、その小ささを知ったからこそ、この果てしない世界をもっと歩いてみたいと強く思えたのだ。
グラン=パルスが教えてくれたのは、単なるフィールドの広さではなく、世界の中で自分がどのように生きているのかという、静かな実感であった。


あー、確かに。いつの間にかあのアダマンタイマイもあんまり気にしなくなったよね。なんか風景って言われればそんなカンジ。

あのアルカキルティ大平原ってすごく何とも言えない音楽じゃない?アタシ、結構好きなんだよね~。なんていうかさ、寂しさ?孤独さ?それでもなんかいいメロディだしさ。あの音楽を聴くとアタシ、またアダマンタイマイに会いたくなっちゃうんだよね~。
pg.lost『Yes I Am』――あの世界を歩いた心の軌跡
グラン=パルスを歩き終え、心に残った景色を思い返した時、自然と頭の中で鳴り響いたのがpg.lostの『Yes I Am』だった。
曲の冒頭には、初めてアルカキルティ大平原へ降り立った瞬間の、あの打ち震えるような感動が詰まっているように感じる。しかし、見上げるほど巨大な生命たちを前にして、その高揚感はやがて静かな孤独へと姿を変えていく。
自分がどれほどちっぽけな存在かを思い知らされるような、中盤に漂う少し寂しげな旋律。それが、この時の感情と痛いほどリンクするのだ。
それでも、この曲は絶望では終わらない。終盤に押し寄せるカタルシスは、世界に抗うための激しさではなく、自分の小ささを静かに受け入れ、それでも前へ進もうとする確かな意志のように響く。
『Yes I Am』を聴くたび、僕はもう一度、あの風の吹く草原を歩きたくなる。

なるほどねぇ~。ホントにアルカキルティ大平原に行くのに苦労するんだよね。そこであんなにでっかい存在見させられて、これどうすんの~ってなったのに、いつの間にかアルカキルティ大平原走り回れるようになってるわけだし。『Yes I Am』って聴いちゃうとアルカキルティ大平原行きたくなっちゃうかも。
今回の情景を、より深く味わうために ― ゼンハイザー HD599
この「世界の広さ」と「心の移り変わり」をより深く、立体的に味わうための機材として、今回は「ゼンハイザー HD599」をおすすめしたい。
①広大な空間を自然に描き出すサウンドステージ
HD599は、単に音が広がるというよりも、空間そのものを自然に構築してくれる。ギターの余韻や静謐な空気が左右へシームレスに広がり、果てしない大平原の景色が目の前に浮かび上がってくる。
②一つひとつの音が自然な距離で存在する定位感
遠くを歩く生命の足音、頭上を抜ける風の音。それぞれの音が無理のない距離感を保ったまま存在するため、音楽全体がまるで一枚の巨大な風景画のように感じられる。
③長時間でも自然に浸れる、やさしい聴き心地
刺激的な音で耳を圧倒するのではなく、音楽の深い余韻にゆっくりと浸らせてくれるヘッドホンだ。『Yes I Am』を最後まで聴き終え、もう一度グラン=パルスを歩き出したくなる。そんな穏やかな没入感を、しっかりと支えてくれる。
あの大平原を思い出す香り ― クラリセージ
今回の情景に合わせて添えたい香りは「クラリセージ」だ。
爽やかなハーブの奥に、乾いた大地や干し草を思わせる、どこかノスタルジックな落ち着きが潜んでいる。
初めてアルカキルティ大平原へ降り立ち、空気を胸いっぱいに吸い込んだ時、その風にはきっとこんな香りが混ざっていたのではないか。
これは僕個人の想像でしかないが、クラリセージの香りを漂わせながら『Yes I Am』に耳を傾けると、あの日見たグラン=パルスの風が、再び部屋を吹き抜けていくような錯覚に陥るのだ。

そう!アルカキルティ大平原って絶対に草のにおいがすごくすると思うんだよ!このクラリセージの香りってなんかなつかしさも感じるし、すごくマッチする気がするよ。
おわりに
ゲームには、思わず息を呑むような絶景が数多く存在する。しかし、その景色がいつまでも心に残り続ける理由は、単にグラフィックが美しいからというだけではない。
『ファイナルファンタジーXIII』のグラン=パルスは、それまで信じてきた世界の常識を静かに壊し、自分という存在の小ささを教えてくれた。あの景色はどこか寂しく、だからこそ途方もなく美しい。
もし本作をプレイしたことがあるのなら、ぜひ『Yes I Am』を聴きながら、もう一度あの平原を歩いてみてほしい。
あの日見た世界は、今も変わらずそこにある。けれど、一度あの広さを知ってしまったあなたは、もう以前と同じ景色を見ることはできないはずだ。

そうだよね~。あの感覚、感動ってさ、初めての時だけなんだよなぁ~。大人になっちゃったカンジと一緒。なんか寂しいよねぇ。でも、『Yes I Am』を聴いたとき、ちょっとだけあの時の気持ちを思い出せたよ。




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